どうも、みーくんです。
新年を迎え、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
世間的には昨日から仕事始めとなりました。正月ボケが解消されない状況だとは思いますが、心機一転頑張っていきたいものですね。
さて、新年早々悍ましい事件が東京都内で発生しました。今回はこの事件を経て明るみになった汚点について述べていきたいと思います。
マスメディアの所業と変わらない
今月6日の12時頃、新宿駅南口の歩道橋で首吊り自殺を図ろうとした男性が発見されました。しかし、一命は取り止め、未遂に終わっています。
内容が不謹慎なだけに本ブログに取り上げるのは躊躇われましたが、新宿で自殺現場を興味本位で撮影する人々を見て、私はある存在を想起しました。それが"マスメディア"、蔑称"マスゴミ"です。
一見両者には共通点がないように感じられますが、本質的には似通っていることが分かります。昨年7月の京都アニメーション放火の例が代表的ですが、マスメディアは被害者が受けた心境を汲み取らず、自社利益のために遺族に群がります。極めつけに実名報道を行う必要があると明確に意思表明しています。そこには"不謹慎"という概念はなく、他人の死を金にしか考えない醜態が窺えます。
自殺現場で撮影していた人々の場合も、その心理を紐解いていくと、SNSで注目されたい、つまりは"バズりたい"という欲求を満たすために、決定的瞬間をカメラに収めようとします。インターネットの発達により情報が民主化された現在、一つの投稿が支持を得ると人々の個性や考え方が均質化され、それがマジョリティとして大衆化します。これに快感を覚えてしまうと、自分の意見が世の中の総意だと錯覚してしまい、他人への共感能力が著しく低下します。この状態では他人の不幸をネタにする行為に走ることもあり得るのです。
それ以外にも"異質な状況"に物珍しさを感じてしまうことも理由として挙げられるでしょう。人は非日常的な状況に遭遇すると本能的に身の危険を感じるので、それを排除しようとする動きに出ます。その一環で撮影内容を晒し上げるという行為に走るのです。
現状のままだと日本は地盤沈下していく
異質な現場を撮影し、SNS上に晒し上げるという行為は、"出る杭は打たれる"文化の日本では特に顕著に見られます。彼らは義務教育時点で右に倣えの精神が浸透していますので、規律を乱した異端児を徹底的に排斥しようとします。こうして、民衆としての行動が均一化及び最適化され、法の範囲内で更に行動が制限されることになります。このように束縛された監視社会で過ごしていれば、モノトーンな日常に窮屈さを感じてしまうことは当然であり、だからこそ常軌を逸した他人の行動に新奇性を感じてしまうのでしょう。そこには他人への共感能力は皆無であり、他人の不幸は自身の生活に刺激を与えるための"エンターテインメント"として存在しています。
私は今回の一件で日本社会の縮図を垣間見た気分になりました。GDPが世界3位であり今夏オリンピックも控えている日本ですが、国民レベルで見た実態はこの通りであり、経済成長があっても心は貧しいままです。最近のTV番組では日本の伝統や治安ばかりが取り沙汰され、日本の素晴らしさを全面的にアピールする傾向がありますが、強くプッシュされるほど日本国民は実態との乖離に不快感を拭えなくなります。インバウンド市場は確実に潤うでしょうが、日本の負の側面を揉み消し外見だけ飾り立てた現状は、嘘で塗り固められた幻想郷に他なりません。
義務教育にプログラミングが導入されて久しいですが、今後は情報リテラシ教育と倫理教育も強化していくべきでしょうね。