みーくんの思考世界

自閉症スペクトラム障害、うつ病により休職中の社会不適合者が綴る雑記ブログです。現在は、転職活動中です。

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摩耗

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元来、人は孤独であり、他者からの介在を必要としない。ゆえに私は他者とのコミュニケーションを捨て、自分の価値観・感覚に対して愚直だった。これは私の信条でもある。"本能に忠実であり、その中に最適解を求める"。欲望と打算のハイブリッドだ。あくまで"独り"ではなく"一人"に価値を見出し、すべて単独行動で完結していた。気楽で無駄がないからだ。
一人でいることにメリットを感じていたので、他者には全く興味がなかった。私は他者に興味がないし、他者も自分が思っているほど私に興味がない。これが真理なのだ。しかし、強制的に他者との関わりを持たせようとするのが社会。自分だけで意思決定できない窮屈さが生じてしまう。他者とは価値観が異なるので、その分軋轢も生じる。当然ストレスも溜まる。

周りに迎合することも嫌いだった。周りに迎合すると自分の意思を欺くことになるのだ。何より余計なストレスを溜め込みたくない。結果、次第に他者からの信用を失い、職場で自分の居場所を失ってしまったのだが…。
皆、周りへの迎合を強いられている。社会という劇場で踊らされた操り人形の表情は背筋が凍るような不気味ささえ感じさせられる。彼らは人間関係のメンテナンスに必死になり不自然な笑顔を浮かべている。社会的信用は仕事での成果もそうだが、"相手の立場になって考えた対価"である限り仕方ないのだろう。しかし、狡猾に表面上だけ取り繕っている人間が果たして信用されるのだろうか。
解が必ず存在する数学の方程式とは異なり、人間関係は迷宮の中を彷徨っている気分になる。解を見つけようとするだけ無駄なのだろう。ゆえに一人の時間に逃避したくなる。自分だけは自分を裏切ることがないからだ。他者にかけた恩は平気で仇で返されることもあり得る。電車内で高齢者に席を譲らない風潮になっているのもそれを想定してのことだろう。気遣いが自己満足のためだけにある"偽善"なのだとしたら、誰がやるだろうか。皆自己防衛に必死だ。気遣いが敬遠された環境は現代社会の歪みにより醸成されてしまったのだ。他者への気遣いと、欲望に忠実な自己実現は反比例する。その中でどのように折り合いをつけていくかの塩梅が難しい。
私は自分で自分の生き方を評価したい。他者に自分の人生を決められたくはない。しかし、悲しいかな生き方を探求する前提には生活費ありきだ。雇われの身である以上、評価基準は社会に委ねられる。個性を勘案せず、すべての人間を一つの物差しで測ってしまう冷徹さには恐れを抱いてしまう。私は自分の気持ちだけは裏切りたくなかったので社会の評価基準に対して反発したのだろう。

 

一瞬の気の緩みが災禍を招く

どうも、みーくんです。
不定期に更新する愚痴(というより悟り)シリーズ、今回は第3弾になります。

 

[第1弾]

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[第2弾]

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リワークプログラムを終了して会社が設けた試し出社まで3週間ほどインターバルがあるのですが、解放感も相俟って思考傾向・行動傾向への対策が疎かになっていました。具体的には"上から目線"や"思慮のない突発的な発言"等ですね。やはり小手先の対策だけでは無駄なのでしょうか。溢れ出る自我を抑えようと努めて早4ヶ月程度経ちますが、一瞬の油断が命取りになります。少しは自分を律することができるよう、リワークプログラムで作成したレポートをこまめに見直すことにします。