みーくんの思考世界

自閉症スペクトラム障害、うつ病により休職中の社会不適合者が綴る雑記ブログです。現在は、転職活動中です。

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近年問題視されている「虐待」について

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どうも、みーくんです。
本日を持って6月も終わってしまいますね。梅雨も明ければ、夏本番です。一日を無駄にせず過ごしていきたいものですね。
さて、私は現在うつ病で休職中ですが、当然私以外にも身体的・精神的に追い詰められている方々も多くいらっしゃいます。親による虐待を受けている子どももその一人です。
今回は、近年問題視されている「虐待」について思いの丈を述べていきたいと思います。

 

目を背けたくなるような過去

私はまだ若者と言える年齢ですが、それでも幼少期は暴力を振るわれて教育されてきました。特に父親はひどいもので、少年野球チームに所属していた時期は、私が未熟だったという理由もあり練習中に何度も頬を叩かれた記憶があります。普段の勉強でも、暗記が苦手だったので、完璧に覚えられるまで数時間も監視されていました。風邪を引いた際は、身体を温めた方が良いという理由で意識朦朧とする中暑い布団を被せられたこともあります。これは現在であれば、虐待と認識されてもおかしくない事象です。しかし、当時は「体罰」が当たり前に横行していた時代でしたので、我慢して耐えるしかありませんでした。今となっては多少のことでは折れない「忍耐力」がついたので悪いことばかりではないと思っています。

 

「虐待」と「しつけ」の線引き

ここ数年は、痛ましい家庭内暴力や教師の生徒に対する暴力等のニュースが目立ってきています。「困ったら110番通報」が世間に浸透してきた結果であるとも言えますが、中には「暴力」と「しつけ」の境界線が曖昧なものもあります。例えば、理路整然に説明しても聞く耳を持たない子どもに対して軽く頭を叩く行為は虐待であると言えるでしょうか。人は痛みを覚えると行動を自制する習性が少なからずあります。したがって、今後の子どもの将来を考えれば"多少の"体罰を振るっても仕方がないということにもなり得ます。しかし、この"多少"がとり得る範囲が不明確なのです。そのため、今一度虐待の定義を再確認する必要があります。
厚生労働省は虐待を以下のように定義しています。

 

①身体的虐待
殴る、蹴る、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する等
②性的虐待
子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする等
③ネグレクト
家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない等
④心理的虐待
言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV)等

 

この定義自体が曖昧で、例えば身体的虐待の"殴る"は該当しても"叩く"は許されるのか、等線引きを明確にする必要があります。
また、最近では経済力がないにも関わらず、後先考えず子どもを生んでしまう家庭が散見されます。これも生まれた子どもにとっては、親を選べないという意味で紛うことなき虐待であると言えます。そういった近年の傾向も鑑みて虐待を再定義する必要があります。
今月19日には参院本会議で、改正児童虐待防止関連法が成立し、2020年に施行されます。そこでは体罰禁止が盛り込まれているものの、その体罰の全容が明らかになっていいません。また、罰則規定が定められていないので、抑止力には乏しいと言えます。

 

虐待を減らしていくためには

虐待をする側の心理はどのようなものなのでしょうか。子どもや生徒を自分の思い通りに仕立て上げた「人形」のように扱っているとしか思えません。その中に人の尊厳を敬うという根本的な思想は欠落しています。子どもや生徒の意思よりも自分の欲望を優先してしまっているのです。その根底には、やはり自分では叶えられなかった将来像というものがあり、それと現実が乖離してしまった結果精神に異常を来しているのだと思います。虐待を減らしていくには、子どもの支援体制も重要ですが、その親への心理的・経済的援助も必要になってくるのかもしれません。