どうも、みーくんです。
最近はシャツ一枚でも汗をかくくらいに蒸し暑い日が続いています。梅雨が明けたかと錯覚するくらい天候が良いですが、今後は大気が不安定なようなので、気温の寒暖差による風邪には気をつけたいものですね。
さて、私事ではありますが、本日は久しぶりに母親と外食に行ってきました。休職前は一人暮らしだったのですが、リワークに通うことになってからはかれこれ一年以上は実家にお世話になっています。一番身近な存在と話すことで、改めて自身の特徴を見つめ直すことができました。本日は自身への備忘録を兼ねて、内容をかいつまんでお話できればと思います。
金銭での損得は考えられるが、自分に対しての損得が考えられていない
私は実生活の中で、良くも悪くもコストパフォーマンスを追求する特徴があります。コストやリスクに見合わない行動は基本的にはとりません。突き詰めると、世の中「お金」がないと心の余裕も生まれず、人間として文化的な最低限度の生活を営めないと考えています。徹底的に「現物主義」であり、愛も金銭で育むことができると考えています。
一方で、自分の言動に対して注意を向けることができないため、思ったことや感じたことを率直に口にしてしまう特徴があります。常識人であれば、相手に傷を与えないような物言いで振舞えるのですが、私にはそれができません。とことん自身の考えに素直であり、自身の正義を「世の中の正論」として主張してしまうのです。極めて愚直といいますか、不器用な人間だと身をもって感じているところです。
一度とった言動は取り返しがつきませんし、回り回って自身に跳ね返ってきます。したがって、自分を守るという意味でも、相手を尊重したアサーティブな表現を身に着けることが急務であると考えています。
人を常に評価軸に置いて判断している
私は、人を「年収」や「社会的地位」で評価し、自分より下の人間を無意識のうちに見下していました。なぜなら、多くの価値観が跳梁跋扈する中、共通のフレームとして普遍的な評価であると考えているからです。その根本にある思想は「所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。」です。るろうに剣心の志々雄真実が放った名言ですが、シンプルな表現ながら世の中の自然摂理が包含されていると思うのです。どんなに地位が低いことを気にしてなかろうが、「負け組」であるという事実からは逃れられないと考えています。
しかし、事実は間違ってないにせよ、人の幸せには介入できません。私の知らない世界があり、それが本人の幻想であったとしても自身の価値観の押し付けは傲慢な行為でしかないのです。
「思っても口に出さない」
「一歩立ち止まって言葉を選ぶ」
やはりこれらを習得することが人間的に成長する鍵になりそうです。