眼前の世界に固執して、知らぬ間に精神がすり減らされている。そんな心地を感じている。意識も定かではないが歩幅だけは一定のリズムを刻ませ、目的地に向かっている。まるで心音を繫ぎ止めるように。そんな機械的で無機質な生命体、それが俺だ。もはや夢も何もない。夢なんて話せばいくらでも話せる、しかしいずれ夢は現実の檻の中に収斂されていく。何のために今いるのか、答えが出せないまま刻一刻と時間だけが過ぎていく。残ったのは組織への貢献でも自身の成長でもない、「意思のない感情の絞り滓」だ。何故、今に至ったのか。すべては生前から定められていたのかもしれない。むしろこの方がちょうど良いのかもしれない、俺のような角がある人間は。社会とは、凹凸な人間を平坦化させる奴隷製造機のことだ。そこに個人の意思は介在しない。答えがない方程式の中で、自分なりの解を見つけてはエラーを繰り返している。すべての事象に因果関係があるのなら、早く俺に答えを教えてくれ。もう心をアップデートさせていくのは疲れた。
半年リワークを続けてみて
いつもとは空気感が異なり、突然驚かせてしまい、申し訳ありません。小説家気取りで心の内を暴露させていただきました、みーくんです。悲劇のヒロインさながらに自身の感情を外在化させてみました。2回目の休職が始まった5月中旬からもうすぐで一年が経とうとしています。また、リワークに通い始めてから半年が経ちました。リワークの標準期間は半年ですが、今の状態だと更に長引きそうな気がします。
リワークでは、自身の発達障害である「自閉症スペクトラム障害」や自分の思考傾向、行動傾向を正確に把握し、社会に適応できるように対策を立てているのですが、この作業を続けているうちに自分という人間が社会にとって都合の良い人間として仕立て上げられているような気がしてなりませんでした。凹凸のある人間は淘汰されるのですから、自分を平坦化させていくのです。日本社会では出過ぎた杭は打たれます。アイデンティティの崩壊も良いところです。
社会に適応することがゴールなのか
それでは、我々発達障害者は社会に適応できるよう自分という人間をアップデートできればそれで良いのでしょうか。それで納得できるのでしょうか。発達障害者の性格傾向を活かすという観点でモノを考えられないのでしょうか。そんな仕組みを社会に期待する方がおかしい、で終わらせて良いのでしょうか。もう一度自分と向き合っていきたいです。