無機質で非生産的な毎日
働いていた頃には到底経験できなかった悩みをかかえている。それは「何も生産的なことをせずに一日を終えてしまう」ということ。
会社勤めをされている方なら、誰もが出社したくない気持ちを堪えながら毎日を過ごしているだろう。そのため、今の私のような働かずして収入を得られている状況を羨ましがる人もいるかもしれない。
私も休職初期はそうだった。当時没頭していたゲームを好きな時間だけプレイできる環境を与えられたのだから。傷病手当金を貪りつつ、自堕落な毎日を楽しんでいた。
しかし、今では気持ちに変化が現れている。何をするにも意欲が沸かなくなっていた。そのため、基本食事・睡眠しかやることがなくなってくる。そして一日何も生産的なことをできていない自分に嘆く。
今ではブログを書くことで、自分の思考を整理している。これが生産的かどうかはさておき、少しでも今の状況を立て直したいと思ったことがきっかけだ。
しかし、それでも心が充足されない。私にとって何を始めるのが正解なのか分からない。時間だけが過ぎていき、毎日夜に一人反省会を行う日常が繰り返されている。
今では、働いていた頃のストレスは必要なものだったんじゃないかと思えてくる。あの頃は悩みはあったものの心は充足されていた。結局ないものねだりだ。隣の芝は青く見えるとは言ったものだが、この場合「過去の芝は青く見える」といったところか。
何をやっても中途半端
何かを始めたいとは思うものの、過去の経験からして、私はひとつのものを極めることができない。いや、正確には極めようとは思っているものの結果がついてこない。どの世界にもその道のプロ、またプロとは言えないまでも秀でている人がいるが、その方々が羨ましい。私は何をやっても平均的、いやそれ以下である。昔古文の授業で「中庸が良い」という言葉を習ったことがあるが、私はそれでは満足できない。人より抜きんでた才能が欲しい。いや、才能は先天的ものなので無理だとしても、今の私の感性・センスを磨きあげて花咲かせたい。
しかし、現実は平凡な男である。でも、私はある意味平凡になるべくしてなったと思っている。よく「普通が一番難しい」と言われるが過去の私はそれを目標にしていた。そうすることで誰からも後ろ指差されず、何不自由ない生活を送れることに満足していた。今はすでにレールから外れている状況だが・・・。
今後は「普通」では生きていけない。人より抜きんでた才能を生かして、社会で成果を上げなければならない。そのための第一歩として、「今の会社に残るべきなのか」「自分の適性が生かせる会社に転職するべきなのか」を見つめ直していきたい。