みーくんの思考世界

自閉症スペクトラム障害、うつ病により休職中の社会不適合者が綴る雑記ブログです。現在は、転職活動中です。

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診断が下ってから現在まで

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どうも、みーくんです。

前回は、会社の昇格試験に落第して、引きこもりになったところまでお話ししました。

今回は主治医より「自閉スペクトラム症」「うつ病」と診断されたところから、現在までを綴っていきたいと思います。

2018年3月末から2018年4月中旬まで(社会人三年目)

昇格試験に落第した後、私は家に引きこもるようになりました。当時は一人暮らしだったので、バランスのとれた食事もとれず、インスタント等栄養が偏った生活を送っていました。そのため、顔はみるみるやつれていき、入社前の精悍な顔つきが嘘みたいに弱っていきました。上司からは何度も連絡をもらったものの、応答せずずっと自分の殻にこもっていました。その後、私を見かねた上司は私の自宅までやってきて相談に乗ってくれました。そこでは、「今後人生はまだまだ長いから思い悩むことはない」だとか「定年まで長いスパンで人生観を考えよう」等アドバイスを貰いましたが、当時の私には何にも響きませんでした。というか、目の前のことで精一杯で今後のことを考える余裕などありませんでした。その後も私は欠勤を重ねてしまい、余っていた年休も底をつきかけていました。そんな中、上司からの勧めで産業医に診てもらうことになりました。状況を話し終えた後、信頼のおける心療内科に診てもらった方が良いとの提案がありました。しぶしぶ了承し、私は勧められた心療内科に足を運びました。

そこではまず、カウンセラーが過去の経緯や現在の心境を聞き取った上でカルテにまとめ、その情報を元に主治医が診断するという流れでした。そこで私は初めて「自閉スペクトラム症」「うつ病」と診断されました。普通、その言葉を聞けば誰もがショックを受けると思いますが当時の私は「やっぱりな」という感覚でした。というのも事前に自分の性格に当てはまる精神病をネットで調べていたからです。改めて診断されて気分がすっきりしましたし、今までの生きづらさの正体を掴めてほっとしました。「自閉スペクトラム症」とは病気というよりも一種の性格・特性のようなもので、それが引き金となって社内でトラブルを起こし、結果うつになったとのことでした。いわば自閉スペクトラム症の「二次障害」としてうつ病になってしまったということですね。私は診断を受けた後、自分の意志で短い間休職することを決意しました。期間にしてちょうど1ヶ月くらいでした。

私は心療内科に通っていること、また正式に診断されたことを家族にずっと黙っていましたが、意を決して打ち明けました。特に驚かれもせず、こうアドバイスされました。

「心療内科に行けば誰しも簡単に病名がついてしまう。あなただけが特別ではない。決して自分だけが不幸であると思い込まないで」と・・・。

確かに、よくエンジニア等の職種では「自閉スペクトラム症」に近い性格をもつ人が多くいると聞いたことがありました。(実際は知りませんが)

そのため、無駄に思い悩むことはやめました。私は休職中、実家に戻り療養に専念しました。療養期間中は身体を動かすことを意識し、なるべく外に出る習慣をつけるようにしました。そして新しいことに挑戦し、趣味も増やしていきました。今まで自分にため込んであった複雑な思いは徐々に消えていき、復職できるまでに回復しました。

2018年4月中旬から2018年5月中旬まで(社会人三年目)

私が休職している間に部の組織図も変わり、周りは新年度の挨拶周り等でそわそわしていました。私は職場に復帰し、まず負担のかからない作業から仕事に取り組みました。内容は誰でもできるものでしたが、段階を踏んでステップアップしていこうと心に決めました。しかし、次第に自分がやっている作業が誰の役に立つものなのか分からなくなってしまい、モチベーションがすり減らされていきました。課として大切なタスクであることは分かっていながらも三年目がやるような仕事でもなかったため、私は恥に感じてきました。私は分相応の仕事がもらえると期待していました。しかし、私は過去の失態で信頼を失ってきた身だということを忘れていました。私はこのままでは何もスキルアップできずにただ悶々と作業を続けなければならないのかと思うと虚しい感覚に陥りました。そしてある時我慢の糸がぷつんと切れてしまい、再度私は引きこもるようになりました。また、上司からの連絡に出ず、音信不通になる日々が始まりました。上司は再度、自宅まで足を運んでくれ、相談に乗ってくれました。結果、このままでは欠勤が増えてしまうため、まとめて長期間休職とした方が良いのではないかとアドバイスをもらいました。私は心療内科に赴き、再度休職を要する診断書をいただけないか依頼しました。結果了承をいただき、私は二度目の休職に突入しました。

 2018年5月中旬から2018年8月末まで(社会人三年目)

私は自分の意志で8月末まで3ヶ月半休職することを決意しました。次第に私は実家に戻る回数が増えてきました。今まで自分が何不自由なく、誰からも後ろ指差されずに生きてきましたが、今回の一件でレールから外されたような気持ちでした。ある意味今までの私は「世間体」にこだわりすぎていた部分があります。「大学に行かなければならない」「大企業に就職しなければならない」等、その「ならない」に縛り付けられていました。これも自閉スペクトラム症の性格上のひとつなのかもしれません。自分の考え方・感じ方・生き方にとことんこだわる性格。一度決めたら曲げられない性格。完璧主義な性格。私は、二度目の休職を経て、その「ならない」にこだわることをやめました。それだけ世界観が窮屈になってしまうからです。自分から生き方の選択肢を少なくすることはしたくありませんでした。人生山あり谷あり、です。

話が逸れてしまいましたが、経済的な事情で7月上旬をもって賃貸マンションを解約することになり、実家へ戻ることを決意しました。実家に戻ってからは体力増強のために、普段の生活にランニングや散歩等を取り入れました。幸い、近所に大型公園があったため恵まれていました。会社の産業医からは生活習慣表を記載するように指示されたため、規則正しい生活を意識しました。しかし、起床時間と就寝時間は安定しませんでした。また、産業医からは、「復職可能な診断書を入手次第、面談を行った上試し出社を課す」との説明がありました。試し出社とは、通勤を含め実際の就労時間に耐えられるように行うリハビリのようなものです。

8月末、私は産業医と面談を行いました。しかし、試し出社の可否について産業医から言い渡されたのは「NO」でした。理由は「起床時間と就寝時間が安定しておらず、生活習慣が乱れている」からでした。合わせて産業医からは、リワークプログラムに参加するよう指示されました。リワークプログラムとは平日9時~17時会社で働くことを想定して「仮オフィス」に足を運び、病院内で作業をするリハビリのことを言います。

私は9月からやっと復帰できると期待していたため、かなりショックを受けました。

2018年9月から現在まで

現在、私はリワークプログラムの申し込みを終えたところになります。おそらく、このままだと10月中旬から本格的にリワークプログラムが始まるものと想定されます。

主治医は変わらず今まで診てもらっていた精神科医で、デイケアとしてリワークプログラムに参加するという形をとります。

生活習慣を整えるだけなら「試し出社」で十分ではないかと思いましたが、産業医の判断のため、しぶしぶ同意しました。実は主治医もリワーク参加に前向きではないようで、自閉スペクトラム症はリワークでは治せないと主張していました。もう「産業医」「主治医」双方で話し合ってどっちが正しいのか決めてくれって感じです。

最近は資金管理で頭の中が忙しいです。一応「傷病手当金」という名目で平均月収額の2/3は貰えているものの、社会保険料は相変わらず控除されるのでお金のやりくりが大変です。6万くらい一気に吹き飛びます。

この少子高齢化の社会、私の年代が将来年金を受け取れるか怪しいため、できれば厚生年金は払いたくないです。

今まで没頭していた趣味も、今は面白みを感じなくなってきました。何の生産性のない毎日。苦痛です。感性が正常だった頃に戻りたいです。今は見る景色すべてがモノクロの世界。気を紛らわそうにも方法が見つからない。こんな状態じゃ友人とも顔を合わせられません。正直「今日も仕事キツかった~」の言葉も聞きたくありません。彼らは正常な人間なのだから。

自堕落な生活でも一歩ずつ上向きにできるよう、今日もあがき続けます。